白黒つけると失敗する

体のことを気にかけるようになると、食べものへのこだわりや偏見が起こりはじめる。あれを食べてはだめ、これはとても効能がある、これは効く、これは絶対に悪、など、食べものに接する時の目つきが鋭くなっていく。食べものの次は身につけるものにも白黒つけ始める。化粧品や石けん、肌に直接触れる下着の素材、服の素材、洗剤etc. とどんどんとこだわりや偏見が広がっていく。そしてその広がりは、付き合う人間にまで及ぶことになる。

同じ感覚を持っている人を探し始めることで、この人は○、この人は×と。好き嫌いだけではなく許すか許さないかのような視線へと変わっていく。

 

私も、自分の体調が思わしくなかった頃から、体に良いとされるものを一所懸命に求めた。薬膳料理を習いにいったこともある。ハーブ(薬草)の勉強をして検定も取った。食べもの、化粧品、洗剤、地球環境のことまでも! とあれこれ善し悪しをつけて選択する生活になっていった。そんな生活をすごしてきた5〜6年の間に、自分の心の片隅でなんとなくある違和感に気付いてはいたけれど、その違和感を打ち消すようにして善し悪しをつけ続けていたこともある。

違和感というのはとても重要なシグナル。違和感を無視し続けると、いつか積もり積もった違和感は大きな違和感=パンチとなって突如目の前に出現する。そこで私はやっと気付かされる。「あ、自分を居心地の悪いところに押しやっていたかも?」と。

 

違和感というのは、その時期に出会った人たちから発せられていたもの。それぞれが必至になってレールから外れないように付き合っている。「あの人はこんなことを言ったからちょっと違うよね」「あの人が言うことだから正しい」「この人は間違っているから合わない」みたいな視線をお互いに送り合っている仲。その人たちから嫌われないように! という気持ちが私の中にもあって、無理をして付き合っていたのかもしれない。

それに気付かされた日から、私は突然目が覚めた。白黒つけて物事や人を見ていると、自分の住む世界まで居心地の悪いものにしてしまう。それをやっているのは自分だ。その仲間以外の世間にもう一度目を向けてみると、なんて楽そうな、楽しそうな、肩の力が抜けた空気なんだろう、と晴れ晴れした気分がしてきた。

 

この世界は、許しがあることが一番の救いのはず。

 

善し悪し、白黒はあるかもしれないけれど、それを言いはじめて普段の日常のささいなことにまで「究極」を「完璧」を求めていると、どんどん窮屈を生むだけ。許しがあるから、円滑に生活が送れている。それは宇宙の真理(心理)のようなものなのかもしれない。

 

自分の身の回りに向ける視線を変えてみたら、とても穏やかになって生きるのが楽しくなった。物事には善し悪しはあるのかもしれないけど、究極の判断はしない。そういうこともあるかもしれないし、ないかもしれない。誰にも分からないことだらけに包まれて生きているのがこの世なのかもしれない。それぐらいの心持ちでいる方が、心がたゆたって気持ちよく穏やかに暮らせている。

嘘じゃない。
以前よりも、体が軽くなり→心も軽くなり→肌が柔らかくなり→体も柔らかくなり→体調がどんどん回復し→肌に艶が戻り→体が軽くなり→・・・と、心地よい循環が生まれた。

 

ありがとうございます