こんにちは、フォーティー

瀬戸際の気持ち

いつのお年頃でも、その先の次の年代が見えてくる瀬戸際の頃が一番気持ち的に辛いのだ。18、19の頃は年齢よりももっと別の場所に目標があったからあまり気にすることもなかった。28、29の頃に「アラサー」という言葉が生まれていてドキリとした。それに、一昔前の感覚が未だに残っていたような気もする。三十路は売れ残り、みたいなの。子どもを産むなら三十路では遅い、みたいなの。私だけの勘違いだったのか? そして、30ぴったりでやや焦りもあったけど、無事に結婚の約束も済ませて一安心していたけど、次の年に結婚したものの、自分の体調の変化が下降気味になっていたし、なんだかんだと意外とさえない30代を過ごしつつ、子どもをまだ産んでいないという現実とも戦うことになっちゃって、アラフォーと呼ばれ始める38からいよいよ自分の体の大変さにも限界があるのを思い知った。39にして手術を経験。幸い手術をしても、いや、手術をすることでまだ妊娠は叶うだろうという希望を授かった。でもまだ妊娠には至ってないのだが。それでもまだまだ希望を持っている。どちらかと言えば、30代前半から中盤の頃よりも今の方が体調と気持ちが上向いているだけあって、妊娠できると思っている。そして迎えたフォーティー。なってしまえば大したこともないのだが。

 

こんにちは40

30代の時間をギリギリ最後まで思い切り使い切って、辛いことのすべてを味わったような気もしているからか、なんだか意外とすんなり40を受け入れられた。不思議だ。あ、こんにちは40歳、て。あなたは意外と軽いわね、て。

なんだったんだろう、数ヶ月前までのあの焦りっぷりは。誕生日の数日前になったら急に、ジタバタする気もしなくなってた。まな板の上の鯉状態か。

 

意地っ張り、往生際

この前までね、実は、まだまだ30代だ!って意地を張っていたのだ。美容院に行ったとき、目の前に置かれた雑誌がすでにオーバーフォーティー向けの雑誌で、この出来事が私にとってはかなりの衝撃だったのだ。「は? 私こんなに年食ってないわ!」って心の中で叫んでた。

でも事実、最近雑誌を買ってきて読んでいてもなんかしっくりこなかったのだ。「あー、もう少し若ければこれも着れたかな〜」とか思うことが多くなってて、じゃあ自分は何をどう着たらいいのだ?と、やや真剣に悩んでいたのだ。そんなときにこの美容院事件。その反動で今まで買っていた雑誌を何冊か一気に買ってきてしまうという衝動を起こしてしまう始末。

今日もその雑誌をまた引っ張り出してきてパラパラめくっていたのだが、相変わらずのしっくりこない感じをやり過ごしてた。ところがふと同出版社の出している別の雑誌の広告に目が止まったのだ。なんか気になった。一度は通り過ぎた広告だったけど、なぜか気になるからまたページを戻って広告をじっと読む。えも言われぬ安心感。なんだろうこの安心感は。

そこに並ぶ文言の中には「アラフォー」の文字が。そこでやっと私は気がついたわけ。そっか、こっちの情報のほうがしっくりくるし、私が欲しかった情報はこっちだったか、と。フォーティーが来たことで逆に希望が生まれてるってわけ。

 

後と前

いままでの私は、キラキラ光る「30代」というものがあって、そっちを向いていることがむしろ前を向いている、みたいな錯覚を起こしていたのだ。「40=年を取る」の方向を向くことが後ろ向きになる、と思い込んでいたわけだ。若返ることが前を向くことだと思い込む錯覚。これがあったから過ぎ去りし30代前半に思いを馳せて、ひっしに後ろを向いて悪あがき。気持ちのどこかに30代で子どもを産む!という目標も勝手に作っていたことも、30代にしがみつく理由のひとつだろうけれど。

そっか、私後を向いていたんだね。40が「こっちだよ」って言ってるのを必至に無視し続けていたんだ。40になってしまったことでやっとすんなりそちらの方向を向けるようになった。そっか、前はこっちか。こっちだったか。

 

こんにちは40。初めまして40。30を迎えた頃はなんだか先が重いなぁ、とばかり思っていたけど、不思議と40はそんな気がしていない。30代は辛いことがてんこ盛りだったから、きっとこの先は良いことがたくさん待っている気がしてならないのだ。いままでありがとう30。あなたのおかげでいま幸せです。